湧命法――信念であり、学問であり、そして意志の行為

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湧命法――信念であり、学問であり、そして意志の行為

 

「わが魂よ、不死なる生を求めるな。ただ可能性の領域を尽くせ。」
――
ピンダロス『ピューティア祝勝歌 第三』より(アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』引用)

心が不条理と戯れるような、そんな思考の演習を想像してほしい。
それは同時に、魂の営みでもある。

完璧な幾何学的創造物を思い描いてみる。
反論も批判も許さない、究極のかたち。
そして、完全無欠の創造主を。

その創造主は、自らの創造物と同一である。
中心があらゆる場所にあり、円周がどこにも存在しない球体――
そのような世界の在り方において、
自らを意識するすべての存在(少なくとも人間)は、
それぞれが“宇宙の中心”なのだ。

生きているというこの創造の営みの中で、
自覚ある存在は皆、自身の「脊柱」を持っている。
まるでブランクーシの《無限柱》のように。
無限の時間でも、無限の空間でもなく、
絶え間なく続く“気づき”のプロセスこそがそれを形づくる。

このプロセスは人生のあらゆる局面に浸透している。
仕事にも、体験にも、痛みにも、学びにも。
そして、それが誠実さ、正直さ、
どんな瞬間からでも学び取ろうとする姿勢と結びついたとき、
人の本質となって立ち現れる。

もちろん、均衡を支える柱は脊柱だけではない。
肩、肘、骨盤、膝、足首――
そして魂、精神、そのすべて。
時に痛み、時に叫びながら、
私たちの存在を支えている。

湧命法は、人を“自分自身”と向き合わせる術

日本の手技療法である湧命法は、
施術者を直接 “自己” と対峙させる。
それは批判ではなく、誠実さの訓練だ。

さらに湧命法は、
「人に触れるとは何か」
を教えてくれる。
触れるとは、相手を癒やす可能性を開くこと。
押す一点一点が、謙虚さであり、自己認識の一歩であり、
そして願わくば、神に近づく一歩ともなる。

狂信ではない。
だが、神を思う心は、人のあり方を確かに支える。
「宇宙の中心である」という感覚は、
傲慢のためではなく、
誰かのために全身全霊を尽くす覚悟
として現れる。

湧命法において、
触れる一点一点が「中心」であり「宇宙」なのだ。

問いかけ

湧命法を学び、
講座で、研修で、実習で、
あなたが誰かに触れ始めるとき――
あなたは何を感じているだろうか?

その答えこそが、
湧命法を通じて患者に光を届けている
あなた自身の内なる“中心”である。

2022年12
湧命法療術師
ルチアン・ダニラ